歴史散歩:石川島-旗本・石川氏が拝領した隅田川河口の島

ブログ

私が住んでいる東京都中央区の佃島。江戸時代には幕府船手頭であった旗本の石川氏が拝領した隅田川河口の島は、いまは三井不動産が開発したマンション群となっています。実は私は歴史散歩が大好きです。この小さな島に関わった江戸時代の著名人をリストアップしてみました。

◆住所

〒104-0051 東京都中央区佃1丁目 付近

◆地図

石川島資料館 · 〒104-0051 東京都中央区佃1丁目11−8 ピアウエストスクエア 1階
★★★★☆ · 地域歴史博物館

◆歴史

もともと大川(隅田川)に浮かぶ中州だった。石川島の「いしかわ」は、江戸時代の旗本・石川八左衛門政次のことを指す。

①石川八左衛門政次

船手頭。寛永年間(1624-44)。江戸隅田(すみだ)川河口の鎧島を領し,島内に屋敷をかまえる。以来この島は石川島とよばれるようになった。俗に「八左衛門島」ともいった。船手頭は、幕府用船の保管・運行の任務にあたり、江戸湊の防衛にあたった。

②松平定信

江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の孫。御三卿の田安徳川家の初代当主・徳川宗武の七男として生まれる。陸奥国白河藩3代藩主。定綱系久松松平家9代当主。1787年から1793年まで寛政の改革を行った。定信は田沼の政策の経済政策をことごとく覆した。

④長谷川平蔵

江戸幕府の役人。諱は宣以。平蔵宣雄(後の京都町奉行)の嫡子として生まれ,西丸書院番を経て1786年(天明6)先手弓頭、翌年火付盗賊改加役を命ぜられる。天明飢饉後に激増した江戸の無宿や浮浪人を一箇所に集め、犯罪者化を防ぐと共に職業教育(授産)を施して更生させるという平蔵の構想計画が、老中・松平定信に採用される。石川八左衛門政次の屋敷裏の低湿地16,000坪に、寛政2年(1790)2月、人足寄場(当初の名は「加役方人足寄場」)が開設された。人足たちの更生を目的とした当時としては画期的な処遇制度。なお長谷川平蔵は、鬼平犯科帳のモデルとなった人。

⑤清水純畸

石川島人足寄場奉行清水純畸が、隅田河口や品川沖航行の船舶のため、油絞りの益金を割き、人足の手で寄場南端に常夜灯「石川島灯台」を作った。六角二層の堂々たる灯台だった。この完成を最も喜んだのは、近在漁師だった。

⑥徳川斉昭

ペリー来航による欧米列強への対抗に迫られた幕府が、水戸藩に造船所設立を指示。水戸藩の徳川斉昭が隅田川河口の石川島に創設。洋式軍艦「旭日丸」、蒸気軍艦「千代田丸」などを建造した幕末の代表的造船所。維新後官営となった。1876年機器類を海軍兵器局に移し廃止した。

⑦平野富二

明治時代の実業家。石川島造船所(石川島播磨重工業)の創立者。幕臣矢次豊三郎の次男として長崎に生まれる。初め長崎製鉄所に勤務したが、明治4 (1871) 年本木昌造の懇請で長崎新塾活版製造所の経営を引受ける。初めて鉛製活字の製造に成功。同5年東京に進出して活字の製造販売を、1873年印刷機械の製造販売を始めた。そして、築地体 (明朝体) の活字を研究開発する一方、85年東京築地活版製造所を設立。76年官営石川島修船の敷地と船渠を貸与され,最初の民間造船所として平野造船所を創設した。

コメント

タイトルとURLをコピーしました